ちょっと脱線

仕事のマインド

また少し間が空いてしまいました。お待ちいただいた方、ごめんなさい。

以前の記事で、会社都合で突然解雇されてしまったお話をしました。今回は、そこから次の仕事にたどり着くまでの、少し不思議な巡り合わせについてお話ししようと思います。

1. 2002年の夏、予期せぬ解雇と選んだ選択

ちょうど2002年の日韓ワールドカップで日本中が沸き立っていた頃、私は上司とのすれ違いから解雇を言い渡されました。

それまで解雇など経験したことがなかったため、告げられたときは文字通り「失いかけていた足場がふっと消えた」ような、途方に暮れる感覚でした。試用期間の壁もあり、精神的なダメージは小さくありませんでした。

ただ、そんな中でも一つだけ救いだったのは、支社長補佐として支えてくださった日本人の方の存在です。

本当は会社側の理不尽な対応(退職理由の書き換えなど)に対して言いたいこともありました。しかし、「これ以上、あの優しい方に迷惑をかけてはならない」という想いが勝り、私はぐっとこらえて静かにその場を去る道を選びました。今思えば、あの時の小さな判断も、自分のなかでの大切な一線だったように感じます。

2. 思わぬ回り道だった、選挙事務所での日々

仕事がなくなり、家にこもりがちになっていた時期。学生時代からのご縁と、地元での選挙のタイミングが重なり、ある候補者の選挙事務所でお手伝いをする機会をいただきました。

それまで航空業界という狭い世界しか知らなかった私にとって、そこに出入りする人たちとの出会いはまったく新しい世界でした。多種多様な人たちと触れ合い、さまざまな価値観に触れたことは、知らず知らずのうちに私の視野を広げてくれていたようです。

当時は自分のことでいっぱいいっぱいで、そんな余裕は微塵もありませんでしたが……。人生の点と点は、後から振り返ってみると「ちゃんとつながっているんだな」と、今なら素直にそう思えます。

3. 点と点がつながり、動き出した次の扉

選挙の活動に追われていたある日、かつての知人から一本の連絡が入りました。

「外資系航空会社の成田空港支店で、契約社員の募集があるけど働いてみる気はないか?」

なんと、その知人がわざわざ支店長に話を通してくれていたのです。

「ここでこのチャンスを逃したら、二度と空港勤務には戻れないかもしれない」 藁にもすがる思いだった私は、二つ返事で応募を決めました。勤務地が成田になるため引っ越しも必要でしたが、不思議と迷いはありませんでした。まわりの方々の温かい協力もあり、無事に受験のチャンスをつかむことができました。

人生のどこかで誰かとのつながりを大切にしていると、予期せぬタイミングで必要な縁が引き寄せられる。今回の転職活動は、まさにそんな感覚の連続でした。

そして、多くの方に支えられながら挑んだ面接の結果は――。

新たなスタートラインへ

見事、合格の知らせをもらうことができました。 憧れの外資系航空会社での勤務が決まり、心から嬉しかったのですが……本当の意味での試練は、ここから待ち受けていました。

今回は少し長くなりましたので、このあたりにしようと思います。 続きの波乱と新しい日々の始まりは、また次回お話ししますね。

それではまた次回!!

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